18,「良い人」になろうとすると、苦しくなるのは人間である証です。

18,「良い人」になろうとすると、苦しくなるのは人間である証です。

私たちは、両親や学校で「悪い人になってはいけない」と学びます。悪い事をすれば叱られ、良い事をすれば褒められ、「良い人にならなければいけない」と、そんな事を言われながら大人になって行きます。両親に従い、教師に従い、多くを学びます。大人になり、社会に出ると、善悪の判断は自分自身でしなければなりません。何が「良い事」で何が「悪い事」なのか?を誰かが教えてくれるわけでもなく、自分自身で判断するようになります。

価値観の違う者達が共同で暮らす社会では、人それぞれの「良い事」あり、人それぞれの「悪い事」あります。そんな社会で過ごしていると、何が良くて何が悪いのか?解らなくなるでしょう。しかし、幼い頃から「良い人にならなければいけない」と教育されていいる為、「良い人」でいようとしてしまいます。

自分にとっての「良い事」が、他人にとって「悪い事」がある社会で、どうやって「良い人」でいる事ができるのでしょう?「そんな事は当たり前だ!」「常識だ!」などと教育されてい育ったのに、その「常識」や「当たり前」でさえ、人それぞれな社会で、「良い人」になどなれるわけがないのです。

従って、「良い人」でいようとすればするほど、心が苦しくなってしまうでしょう。なぜならば、絶対になれない人になろうとしているからです。そもそも、「良い事」とは、自分に都合の良い事に過ぎず、人それぞれの都合があるので、人それぞれの「良い事」があり「悪い事」があるのは当然の事でしょう。

そして、「良い事」は受け入れられても「悪い事」は受け入れられない・・それが人間と言う生き物です。もう一度、言いますが、私たちはどうあがいても「良い人」になれない自然界のルールの中で過ごしているのです。他人の目を気にして「良い人」でいようするのは、実に不毛な事なのです。