人は、誰しも承認欲求をもって生まれてきます。他人から認めてもらいたいと無意識にそう思っているのです。その為、他人から褒められたり、認められたりすると、嬉しくなり、気持ちよくなります。それが、人間と言う生き物でしょう。
しかし、私たちが生まれ落ちた自然界は、利他的な心を育ませいようとしているので、自己の欲求を満たそうとする利己的な行為だけでは、自らの欲求は満たされないどころか、辛く苦しい現実を突きつけられます。要するに、自分が認められたい、受け入れてもらいたいのであれば、自分以外を認め、受け入れる必要があるのです。そんな世界で過ごしているので、ただただ自己の欲求を満たそうとしていれば、自分自身の居場所がなくなるのは、当然の事です。水の中では、何も燃やす事が出来ないのと、同じ事なのです。
自分と他人が考え方や感じ方が違うのは、人それぞれ経験値が異なるので当たり前の事です。それを認めて受け入れられないのは、自分の思い通りにしたいという欲求が強いからでしょう。自分自身は、自分以外の存在があって初めて生きられるので、自分以外を知り、認め、受入れる事が必要です。自分自身の居場所は、自分以外の中に作るしかなく、自分の欲求を満たす居場所など、いくら探しても見つける事など出来ないでしょう。宗教の中での妄想の世界に浸る事は出来ますが、それはただの現実逃避に過ぎず、そこが居場所ではなく、逃げ場所だという事を忘れてしまうと、結果として更なる大きな苦悩を突きつけられるでしょう。
私たちは、どうしても利他的な心持で過ごさなければ、幸せになれない世界に生まれ落ちているのです。