自分自身の価値観は、先祖から引き継いだ経験値と自分自身の経験値でつくられています。そして、自己の思考は、自己の価値観に基づいています。その為、「ダメだと分かっている事をしてしまったり」「やるべき事をしなかったり」という事が起きます。自分自身の言動は、自分自身の血肉に刻まれた経験値によって決まるのです。
自然界は、人の利己的な言動に対して、辛く苦しい出来事を引き起こします。その辛く苦しい出来事によって、利他的な心を学ぶ事になるのです。利他的な言動を繰り返していれば、目前の現実から辛く苦しい出来事がなくなって行くのですが、残念ながら私たちは、利己的に思考するように創られて生まれてきます。嫌な出来事、辛く苦しい出来事は、全て己の我欲が原因なのです。
人には、大きく分けて3つの我欲があります。
①何でも自分の思い通りにしたいという欲求
この欲求が、他人の価値観を拒絶し、争いを生みます。
②嫌な事、辛く苦しい事を無くしたいとする欲求
この欲求が、様々な否定や批判、拒絶を生みます。
③自己の経験の蓄積による無意識な欲求
この欲求が、自己の思考を支配し、自己の言動をコントロールします。
この3つの我欲の中で、自分自身に一番強い影響を与えているのが「無意識な我欲」です。
掃除できない人、時間や期日を守れない人、横柄な態度の人、上から目線の人・・などなど、他人から指摘を受け、いくら自分で直そうと思っても直せないのは、血肉に刻まれた経験値が原因であり、それに伴う自己の我欲が原因なのです。「ダメな奴はダメだ!」と、そう思ってしまうのは、言葉だけで人は変われないからです。
しかし、経験・体験によって人は変わる事が出来ます。当然、自分自身を変える事も出来ます。
炎を触って火傷すれば、「炎を触ると火傷する」という経験値が血肉に刻まれ、同時に「火傷は痛いし辛い」という経験値も記憶されるので、その後は、炎を触ろうとしなくなります。同じように、辛く苦しい出来事に直面して、人が変われるのは、〇〇をすると「辛い」「苦しい」という経験が血肉に刻まれるからです。ただし、「〇〇すると・・」という原因を明確に知る必要があります。苦悩から学びがないと、何度も苦悩を繰り返す事になるでしょう。なぜならば、どうして辛く苦しい出来事が起きるのか?を知ろうとしないからです。
この話をすると、「知ろうとしても解らない」とよく言われますが、それは知るための情報と経験が足らないからです。新たなる経験を繰り返し、新たな情報を得る事で解決するのですが、しかし、それもなかなか出来ない。なぜならば、①②の欲求に忠実な言動を繰り返してしまうからです。①②の欲求は、③の無意識な欲求が、支配しているので、無意識な感覚に負けない強い意志の元、我欲に逆らった経験が必要になります。
私が、ボランティア活動をし続けるように勧めるのは、我欲に逆らった経験をする事になり、その経験値が血肉に刻まれ、③の無意識な我欲に振り回されなくなるからです。