座禅

7,我欲を捨てると、得るものが、たくさんあります。

快楽という幸せを求める事により幸せを遠ざけてしまうのが人であり快楽を求める事で悩み苦しみ、多くを学ぶ事ができるのが、大自然の中にいる人間でしょう。

私の場合は、自分の至らなさ、感謝できない自分に気づき、己の幼稚さに愕然とし深く反省した事がありました。自分が、どれだけ多くの人たちを傷つけ、迷惑をかけてきたかを思うと、その戒めと懺悔のしるしとして、己の快楽を優先する生き方を捨てようと決め死ぬまで徳を積み続ける生き方を選択するしかないのだろう・・と、そう思うようになりました。

当時は、自分の幸せを捨てるつもりで、突き進んだのですが、その行為が幸せになる手段だと知った時にはなんだか・・どこまでも私は愚かで、恥ずかしい生き物だったと情けなくなったのを記憶しています。

そこまで自分を見えなくしたものは、自分自身の「我欲」でした。どんな人も、求めながら過ごして行くのですが肝心なのは、何を求めて生きて行くか?という事のような気もします。欲にも「利己的な欲」と「利他的な欲」の二通りあり、ここでは、利己的な「我欲」を断捨離した時に手に入るものを記しておきます。あくまでの私自身が実際に体験した事に過ぎませんので、ご容赦ください。


 

 

〇我欲を捨てれば、恐怖心が薄れてゆく。
失う事を畏れるのが恐怖心なので、失うものがなくなる事で、恐怖心が無くなって行きます。

 

〇我欲を捨てれば、全ての人に平等に尽くすことができる。
守るモノがあると、それを優先に考える思考が生まれ、どうしても平等に接する事ができなくなるものです。『尽くす』という行為でさえ中途半端になりますし、その行為に、見返りを求めている事に気づけなくなったりします。

 

〇我欲を捨てれば、与える喜びを手に入れる事ができる。
求めるが故に与える事が出来なくなるもので、求める事を止める事で、与える事が出来る。与える事を実践する事でしか、その喜びを知る事は出来ないでしょう。

 

〇我欲を捨てれば、他人の幸せを願う喜びを手に入れる事ができる。
誰しも、自分の幸せ、身近な家族の幸せを願うものですが、自分の幸せより他人の幸せを優先する事で、はじめて他人の幸せを心深く願う事が出来きます。この喜びは、体験しないとわからないかもしれません。

 

〇我欲を捨てれば、感謝できる喜びを手に入れる事ができる。
深く感謝する為には、深く理解する必要があり、深く理解する為には、自分に必要のないモノを理解する行為が必要不可欠です。通常は、己の我欲が邪魔をして、利にならない物事を理解しようとはしないものです。その為、「何も知らない自分」に全く気づけない為、「幸せ」を掴むことが出来なくなる。

 

〇我欲を捨てれば、本当の自分を知る事ができる。
他人を深く理解しようとする事でしか、本当の自分の姿を知る事など出来ないものです。他人に尽くし与える為には、その相手を理解する必要があり、結果として自分自身を知る事になります。相手に求めている以上、いつまで経っても自分を知る事など出来ないでしょう。


 

〇我欲を捨てれば、生きる世界が広くなる
我欲を求めている以上、その快楽を満たす為の情報しか得ようとしないものですが、周りに尽くし与えようとする時は、より多くの情報が必要となるので、どんどんとと視野が広くなるものです。物事に対しての興味も変わり、自分自身に無知さに気づき、多くを知り学ぶ必要がある事にも気づく事ができます。


 

〇我欲を捨てれば、怒りや憎しみが消えてゆく。
怒りや憎しみは、自分の何かを奪われた時に生まれる感情であり、初めから奪われるものがなければ、怒りも憎しみも生まれないものです。怒りっぽい=欲深い、という事になります。


 

〇我欲を捨てれば、他人を大切に思う事ができる。
普通は自分が一番で自分が大切なのですが、我欲を捨てる事で、他人を優先するようになり、自然に他人を大切に想う心が生まれるものです。そして、そんな自分を大切に想う事もでき、そして、そんな気持ちにしてくれた、この世界に深く感謝でき、この気持ちが幸せなんだと気づく事が出来ます。


 

〇我欲を捨てれば、生きる目的を見付ける事ができる。
快楽をいくら手に入れた所で、心が満たされる事はないでしょう。満たされないモノをいくら求めて過ごしても、生きる目的にはなりえないと言う事です。我欲を捨てる事で、自分自身を知る事ができるので、生きる指針や目的や方向を自分の意志で定める事が出来ます。


 

〇我欲を捨てれば、心の自由を手に入れられる。
我欲を求めると我欲に縛られるようになり、その状態になかなか気づけないものです。我欲に縛られるが為に、怒り苦しみ悩み孤独になるものですが、行動さえも制限され心の自由も失われるものです。まわりに尽くし奉仕したくなる気持ちこそが、心が自由になった証でしょう。


 

〇我欲を捨てれば、快楽と幸せの違いが明確になる
幸せは与える事でしか手に入れる事は出来ず、我欲を求めて生きている以上、どんな人も幸せにはなれないのが、この世の仕組みだと体感できます。


 

〇我欲を捨てれば、無意味な事がなくなってしまう。
無意味だと感じる時は、求めるモノが手に入らないと思った時に生まれる感情なので、初めから求めていなければ、無意味な事が無くなってしまいます。


 

〇我欲を捨てれば、どうでもいい事の大切さに気づく事ができる。
我欲を捨てると無意味な事がなくなるので、どんな出来事も自分にとって大切な事だと思ってしまうようになる。また、どんな事にも意味を持たせる事も出来るようになるので、毎日が楽しくなる。


 

〇我欲を捨てれば、自分の全てを認め受け入れる事ができる。
嫌な自分、嫌いな自分は、理想の自分を求めるが故に生まれる感情なので、その気持ちがなくなれば、どんな自分も許せるし受け入れる事が出来るようになる。




〇我欲を捨てれば、ゆるす事がどんどんと増え続ける。
ゆるせないという感情は、自分の欲望を阻害する対象に向けるものです。我欲を求める行為を止める事で、阻害される対象がなくなりますし、逆に、与えようとするようになります。与える為には他を理解する必要があり、他を理解する行為が、本当の自分の姿を明確に映し出します。本当の自分の姿を知る事で、至らない自分を知る事になり、ゆるせない相手と自分自身に同じ一面がある事に気づけるでしょう。


 

〇我欲を捨てれば、与える事でしか得られないのがこの世だと知る事ができる。
求めているうちは、与えようとしないので、与える事で得られる仕組みを体験する事さえできない為、そんな法則がある事すら知る事はできないはずです。与え続ける事を行動すれば、誰でも身をもって体験できます。


 

〇我欲を捨てれば、常に与えられている事に気づく事が出来る。
求めているうちは、自分に利のある事しか知ろうとしない為、狭い視野で物事を判断する事になる。しかも、それが全てだと勘違いしながら過ごしてしまう。我欲を捨てる事で、視野が広くなり、常に与えられている事に、気付く事ができるでしょう。

 

〇我欲を捨てれば、感謝すべき出来事しか起きていない事に気づく事が出来る。
私たちは、快楽を求めるが故に、多くを見失っているのでしょう。今ある物事が当たり前になり、さらなる快楽を求めるのが人の性であり、便利が当たり前を生み出し、感謝を忘れさせて行くわけです。ただ、こんな便利な社会でも、我欲を捨てれば、視野が広くなり、様々な便利に感謝できるようになります。出来事から学ぶ姿勢が生まれ、一つ一つの出来事に感謝するようになるでしょう。


 

〇我欲を捨てれば、幸せがいつも自分の中にある事に気づく事が出来る。
求めている快楽が満たされる事が幸せだと思っていれば、どうしても、自分の外側に幸せを探してしまう為、自分の中に幸せがある事に気づけない。求める事を止めた時、自分を見つめるようになり、どんな状況においても自分が幸せだと思う事が出来るようになる。




〇我欲を捨てれば、健康になる。
人が病気になるのは、負の感情が原因であり(子供は親の負の感情が原因)それらの感情は我欲を求めるが為に生まれます。従って、我欲を捨てれば、負の感情がなくなり、健康になります。朝の目覚めも爽快になり、疲れにくくなり、頭痛、腹痛、腰痛、コリ、などもなくなります。
 


〇我欲を捨てれば、幸せになります。
幸せは、我欲を捨てる事でしか手に入らないものです。