正解

16,人生で「正解」を求めても見つからないのは「正解」など存在していないからです。

私たちの社会は、「正しい事」「間違った事」という判断を繰り返し、常に「正しさ」という「正解」を基準にして成り立っています。その為に、日々の生活の中で、物事が上手くいかなくて、悩み、苦しむ時も「正解」を求めてしまいます。

また、私たちは利己的な思考を植え付けられて生まれてくる為に、物事を自分主体で考えてしまいます。嫌な事、辛く苦しい事が起きた時、それらの問題を解決するために無意識に自分の外に「正解」を探し求めてしまうのです。

しかし、自然界は私たちに心の成長を促そうと出来事を引き起こしており、人それぞれの、心の成長度合いにより生きるステージが異なっています。同じ行動をしても、人それぞれ、生きるステージが異なっている為、結果というその先の出来事が異なるのです。その為、過去の事例を参考にしたり、誰かに答えを求めたり、自分の外に「正解」を求めても、その「正解」を見つける事は出来ないでしょう。言うなれば、目前の出来事から、何を学ぶか?が「正解」があり、その都度、自己の心の成長に伴って「正解」は異なります。

人生の中での自分自身がどんな言動をするかは、常に自分自身が選択しており、自分自身で決断しています。また、自分自身が生み出した世界の中でしか生きられない為、今、目の前にある現実は、自分自身が創り出しているモノなのです。従って、どんな出来事が起きようと、それを受け入れる必要があります。出来事から学び、自らを成長させる事が人生であり、自らの心の成長に伴い、出来事も移りかわります。目前の出来事を、その都度受け入れ、その後、自分が何を選択し、どう行動するかは、自分次第であり、何も「正解」を求める必要はありません。

私たちは、新たなる経験を繰り返す事で成長して行きます。大切なのは新たなる経験を繰り返す事で、そこに「正解」など必要ないのです。いうなれば、出来事から学ぶ事が「正解」なのです。従って、自分がどんな選択をしようが、そこから学べば良いという事です。