私は、多くの幸せな方々とお会いしてきましたが、その中で、宗教を深く信仰している人や、せっせ、せっせと先祖供養に励んだり、勤行している人は一人もいませんでした。どちらかと言えば、先祖供養に励んでいる方の方が、不幸な人が多いように感じます。おそらく、その理由は目前の現実の受け止め方の違いだと、そう思っています。自分の人生を自分の足で歩んでいるか?神仏に委ねているか?の違いでしょう。自分の人生は、やはり自分の力で切り開くもののように思います。
「自分」という存在は、「自分以外」の存在により生かされています。自分以外の存在がなければ生きられないのです。また、私たち一人ひとりは、自然界の中にある、人間社会の中で過ごしています。従って、自分以外の存在の事を知れば知るほど、毎日が過ごしやすくなるのです。衣食住や家族の事、知人友人の事、他人の事、社会の事、世界の事、これらの存在を認め、深く知る必要があります。そんな当たり前の事に理解が及ばず、ただ目前の現実を思い通りにしたい!という欲望のまま、日々を過ごした結果、周りから疎まれ、迫害されたり、騙されたり、嫌な出来事ばかりが続き、自分の居場所を失ってしまう事もあるでしょう。
自分以外を知ろうとしなければ、物事が思い通りにならない事が多く、嫌な出来事が続いてしまいます。しかし、そんな事はお構いなしで、自分の思い通りにしたいと、そう思いながら過ごしてしまう。その為、物事が自分の思い通りにならなくなり、何をどうすれば良いのか?もわからなくなるはずです。なぜならば、自分以外の存在を知ろうとしないので知識が足らないからです。自己の欲望を満たす事を優先して、そんな物事の判断を繰り返し、自分と相反する考え方を拒絶していれば、当然、偏った情報しか得る事が出来なくなります。もともと自分以外を知ろうとしていないので、自分の視野が狭い事にも気づけないでしょう。その結果、どうやって今の苦境から脱する事ができるかが解らなくなります。周りの人たちからすれば、自己の欲望を満たす事しか、考えない人とは、あまり関わりたくないので、親身になって相談してくれる人もいない。そして、どうして誰も、自分の事をわかってくれないのか?と自暴自棄になる。最終的に、神仏という不確かな存在に縋る事となり「宗教」にハマってしまうのです。
宗教的な集まりでは、同じような状態の人たちが集うので、癒される事もあるでしょう。苦境にいる自分自身を受け入れてくれれば、救われたと思うでしょう。自分は何も悪くない、悪いのは先祖の因縁だと言われれば、自己を正当化できて、心が軽くなるでしょう。しかし、それはただ単に自分の逃げ場所を見つけただけなのです。どっぷり浸かれば浸かるほど、自分自身が腐敗してゆく事になる。そして、その事実にすら気づけない。
自分自身に降りかかる苦悩は、自分自身の負の感情が原因です。自分自身の価値観に問題があるという事です。従って、いくら神仏に祈りを捧げようが、読経しようが、写経しようが、寒行しようが、自己の価値観が変わらない限り、幸せを掴む事はないでしょう。今の自分は「正しい」「間違っていない」そう思っている以上、辛く苦しい出来事ばかり続くのです。
仏教系の宗教や、霊能者から「辛く苦しい現実は、先祖からの因縁のせいだ」と言われてる方もいらっしゃるかと思います。私自身もその一人で、言われるがまま、仏教の作法にしたがい因縁消滅の勤行を続けましたが、最終的に仏教から離れる事で、目前の現実が大きく改善されました。ここに私が経験した、先祖からの因縁消滅の方法をマニュアルにしてみましたので、興味のある方は参考にしてください。