私たちは、私たちの創った社会で過ごしている為、社会のルールを守る必要があり、そのルールを守る事を「良い事」とし、物事を判断しています。また、私たちの社会は、私たちが満たされる事を「良い事」としています。社会で過ごす全員が笑顔で暮らせる社会が良い社会となります。
しかし、実際には価値観の違う者が集まり、集団で過ごしているので、人と人との争いが無くなる事はありません。社会という多くの人が集団で生活をしている以上「皆が笑顔で暮らせる社会」など、初めから不可能なのです。
なぜならば、私たちの人生は、自らの心を成長させる為にあり、その為に自然界のルールが敷かれているからです。
「皆が笑顔で暮らせる社会」とは、言うなれば人々の快楽を満たす社会であり、苦難のない社会という事になります。しかし、人々の苦難は、私たちの成長を促す為に存在しており、無くす事は出来ません。また、「利他的な心」なくして自らの快楽を求め続けると、様々な苦難に直面するのも自然界のルールです。
従って、自然界のルールに沿った「良い事」とは、自らの心を「利己的な心」から「利他的な心」へと成長させる事となります。
本来、自然界には「善」も「悪」も存在していないので、「良い」も「悪い」もないのですが、私たちが過ごす社会では、善悪の判断は必要です。自然界と私たちが過ごす社会では、判断基準が異なっている為に、物事が思うように進まない事もあるでしょう。社会の矛盾をを感じたり、様々な出来事の中で葛藤したり、心を壊す人もいるでしょう。そんな時には「自らの心を成長させる事が良い事」とし、そう判断してください。出来事のすべてが繋がり、矛盾を感じる事もなく、葛藤もなくなります。