24,この世から、人を「堕落」させる仕組みが、無くなる事はありません。

24,この世から、人を「堕落」させる仕組みが、無くなる事はありません。

私たちの社会には、秩序を保つために様々なルールがあります。そして、そのルールに基づいて「善悪」が決められ、その「善悪」を物事の判断基準として、日々を過ごしています。価値観の違う者どおしが共に過ごす社会では、人々の快楽を満たす事を優先としています。私たちの欲望が満たされる事が「善」であり、辛く苦しい出来事は「悪」とされます。

しかし、自然界のルールからすれば、そんな私たちに都合の良いルールが確立するわけもなく常に色々な問題が起きてしまう。私たちの社会から犯罪が無くならないのが、その証でしょう。世界中どこ探しても、犯罪者のいない国などありません。

麻薬、窃盗、殺人、詐欺、ギャンブル、性犯罪などなど、社会には様々な罠があります。性風俗業界を無くせば性犯罪が増え続ける。パチンコなどのギャンブル場をなくせば、闇賭博が横行する。暴力団新法で暴力団を締め上げた結果、海外マフィアや半グレ集団が増え続けています。快楽視点の「悪」を無くそうとすればするほど、さらに厄介な状態に陥って行くのです。原発を「悪」とし無くそうとすれば、電気代が高騰し人々の生活を圧迫し、環境汚染の問題が生まれ、ウクライナのように核を廃棄すれば、核で脅されながロシアに軍事侵略される。これらの事象は、私たちが快楽を満たす事を「善」とした結果が生み出した「悪」という事でしょう。

ただ、これら色々な問題が起きるからこそ、人々の心から利他的な思いが育まれて行きます。自然界からすれば、私たちに利他的な心が育つ事が「善」だからです。辛く苦しい出来事を「悪」とせず心の成長を「善」とすれば、人を堕落させる仕組みは、絶対に必要になります。あまりにも、堕落が広がりすぎると、人々も考え、堕落を無くそうと行動する。自分個人の視点から、社会全体への視点へ移り変わり、それらの為に行動するようになる。即ち、利他的な心が生み出されて行くのです。

自然界は、そうなるようい創られているからです。