私たちの社会は、社会全体の秩序を保つ為に「正しい事」「間違った事」という判断基準の下でルールを設け、私たちはそのルールを守りながら生活しています。
しかし、そのルールは私たち人間に都合よく創られている事を忘れてはならないでしょう。私たちが普段、無意識に判断をしている善悪の区別は、大前提として私たちの社会の秩序を保つ為のものだからです。自然界には、そんなルールなど存在していません。そして、私たちの社会は自然界に存在し、自然界のルールに従う事しか出来ないのも事実。
私たちが、「正しい事」「良い事」をすると、同時に「間違った事」「悪い事」が発生するのが、自然界のルールです。例えば、インターネットの普及により人々の生活は、凄く便利になりました。ネット上で会った事のない人と簡単につながる事が出来るようになり、情報交換も簡単にで出来、色々な情報を手軽に入手する事が出来るようになりました。半面、ネット詐欺、匿名でのイジメや誹謗中傷、ネットを利用した様々な犯罪も増えるようになった。便利になればなるほど、それに伴う弊害が起きる・・原発を作れば、放射能汚染の弊害があり、火力発電を増やせば、温暖化が進む・・
「良い事」起きれば、同時に「悪い事」も起きており、「悪い事」が起きれば、同時に「良い事」起きる。それの繰り返しで私たちや私たちの世界が、進化成長して行くのが、自然界の仕組みなのでしょう。
自分自身の中にある善悪の判断も同じです。自分の正しさを主張すれば、自分と異なる価値観の人から間違いだと主張されるでしょう。その事により、他人の価値観を学び、自分自身が成長できる。従って、自分の正しさに拘っていると、生きる事に行き詰ってしまうのが、私たちが存在している自然界のルールなのです。
「正義」を掲げ、正しい事に拘る程、愚かな生き様はなく、「正義」を掲げたならば、同時に「悪」を受け入れる事が、必要不可欠でしょう。そうやって、進化成長を続けるのが、我々の世界であり、そんなルールの下で、私たちは存在しているのでしょう。